二次会があるとは聞いていたけど、どういう形でそれが行われるのか、僕はほとんど知らなかった。聞いていたのは、この会場で続け様に行われるという事くらいだ。まずはこのまま帰られるお客さんにご挨拶を、と天谷君と出入り口に移動した。
出てくるお客さんを迎えて感想を伺ってみる。皆さん開口一番「ホントに楽しかった」「来て良かった」と。それだけでもう、全てが報われた。革靴を無くした事なんて、もうすでに忘却の彼方だ。「一緒に写真を撮ってもらえますか?」と言われたので、ここでも僕はカメラマンをやらせて貰った。デジカメ、ガラケー、スマートフォン、中にはDSのカメラ機能で撮影して下さいという方も。多分、人生で一番沢山のデジカメを扱った日だと思う。
天谷君一人では手一杯という事もあり、折角なので、待ってもらっている間に僕も色々話を聞かせて貰った。中には中学生のお客さんも居て、ファミコンが大好きで洞窟も大好き、今日は一人で来ましたとの事。前述のゲーマー一家さんといい、ホント愛されてるなあ、洞窟物語。
また、思い掛けない再会もあった。ウチの喫茶店で天谷君の取材をしていた、日経BP社の記者Nさんだ。早過ぎる再会を喜ぶ我々。今日は夕方から出張があったそうなのだが、どうしてもこのイベントを観に来たい事でギリギリまで残って頂いていた。それにしてもまさかこんなに早く、しかも東京でお会いする事になろうとは。人の縁とは面白いものだ。
出て来られるお客さんが一頻り収まった所で、天谷君と店内へ戻る。そこには、恐ろしい数のお客さんが二次会参加のレジ会計に並んでいた。スタッフさんや店長さんが焦っている。聞けば、カルチャーカルチャーの二次会参加人数最高記録だったそうだ。僕らスタッフ陣も騒然。ここまでの盛り上がり、誰も想像はしていなかった。
程無く二次会はスタート。折角DSi版があるから、残って頂いたお客さんに遊んで貰おうという流れになって大歓声。最初のプレーヤーとして選ばれたのは、会場内で最年少、ゲーマー一家さんの長女さんだった。余談だが、サミエルさんがこの兄妹に「自分ら、ゲーム作りたいんか?」と話しかけていたシーンがとても印象に残っている。ハタから見たら説教してるみたいに見えたのが余計に。
その後、順番交代で多くの方にDSi版を遊んで貰えたようだ。片方はノーマルモード、もう片方はHP3のハードモードで遊んで貰い、こちらは常時プロジェクタに様子が映されていた。ありがちなミスでやられた時は「あるある」という笑いが起こり、電源室のバルログを倒したプレーヤーには大歓声が。一つのゲームでこれだけ盛り上がれる、幸せな空間。合間合間に、天谷君はグラスを持って客席を挨拶回り。後で聞いたら、キャラクターの裏設定や、坂道の当たり判定などについて多く質問を頂いたそうだ。ならむらさんの「何か結婚式の新郎みたいやな」という発言がツボに入った。
折角なので、僕も色んな場所でお客さんから話を伺う。外で聞いた反応と同じで、皆さん「最高だった」「一緒に盛り上がれて楽しい」と。イラストを提供して頂いた上に長野から来て下さった方、同じくイラストご提供+僕らより遠い大阪からお越し頂いた方、神奈川から、栃木から、勿論地元東京から…一番驚いたのは、何と前日からキャンセル待ちを狙って店の前で待機していた方。貴方がナンバーワンです。そういや、「日記で描かれてるドット絵の天谷さん、似過ぎですよね」とのご意見を頂きました。はい、僕もそう思います。
さて、洞窟物語リリース後、デバッグBBSも閉鎖しようかという時期にこんな発言が残されている。
Pixel (2004/12/02-20:54
思っていたより好評で本当によかった。
いっそこのまま一人歩きしてどこまでも行って欲しい気分~。
ネタ出しの時にこれを発見して、結局何処まで行った?と聞いたら天谷君は笑っていた。「僕は自分が作りたかったゲームを作っただけで、後は何もしていないよ」と。2004年12月にリリースされた洞窟物語は、Vectorに掲載され、窓の杜に掲載され、同僚の手でMacへ移植され、Shih Tzuさんによって英語版パッチが作成され、各国メディア(それも海外)から初めてインタビューを受け、RADIOHEADのギタリストJohnny Greenwood氏に紹介され、北米版Wiiwareとしてリリースされ、米国のGDCやスペインのiDÉAMEで講演までする事になった。一体どれだけ多くのユーザーに愛されたのだろうか。こんなフリーゲーム、他に無いと思う。
そして今日、ついに日本に洞窟物語が帰ってくる。それも、恐らく日本初と思われる『フリーゲームのトークショー』と共に。学生時代に彼と出会った時、いずれ面白い事をやらかすだろうなとは思っていたが、こんな凄い事をやらかすとまでは夢にも思わなかった。ましてや、彼の横に立って僕までトークショーに参加するなどとは。リハーサル中、カルチャーカルチャー内に大音量で『つきのうた』が流れた時、あまりの嬉しさに僕と天谷君は顔を見合わせて笑った。とんでもない所まで来てしまったな、と。
しかし、恐らくここがスタート地点なのだろう。会社を辞め、世にも珍しい個人事業主のゲーム開発者となった天谷君。ある程度歳を食えば解ると思うが、これはとんでもない大勝負なのだ。ゲームを飯のタネにして生きていく。それも、まだ日本では馴染の薄い『インディーゲーム』という世界で。それが、どれだけ覚悟と根性の要る事なのか。
今回、同じ世界の仲間であり、良きライバルでもあるNIGOROさんの全面協力があってDSi版洞窟物語が作られ、イベントも大成功に終わった。NIGOROのボスであるならむらさんは、後にtwitterでこう呟いている。
少し語りきれなかった裏側を残しておこう。#uragawa
DSi洞窟物語を日本でウチがリリースするけども、任天堂やらNICALiSやらいろいろ間に入っているので「もうかるでぇ」というような話ではない。#uragawa
海外で出ている面白そうな作品を日本でも!と思っても翻訳や修正、手続きが結構かかるくせに日本だと人口やDLでゲーム買う週間とかの違いで海外ほどの売り上げにならないのはわかってることだから。#uragawa
だけど日本で生まれたゲームが日本でリリースされないのはおかしい!と思いますので。#uragawa
なので売れる売れないとかでなく、遊んでみたいと思ってくれている人がいるなら、遊んでもらいたいと思うものができれば、ゲーム業界の動向とかに関係なく日本のインディーズゲームを楽しんでもらえるのが良いと思います。#uragawa
ここから先は、僕の勝手な独り言としてお読みください。
その昔、『同人ゲーム』と言えば主流は一次創作だった。時代は変わり、現在の同人ゲームは二次創作が主流になっている。それ自体を悪く言うつもりは無い。プロ顔負けの恐ろしい完成度を誇るゲームも沢山あるし、実際同人の世界からプロへ羽ばたいたサークルも沢山ある。素晴らしい事だ。ただ、一つ。余りにも一次創作が衰退してはいないか、と。
海外には『インディーゲーム』と呼ばれるジャンルが存在し、そこでは日夜、様々なスタイルの開発者たちがしのぎを削っている。『VVVVVV』や『Minecraft』、『Super Meat Boy』等は日本人でも知っている方が居るのではないか。ここは所謂、個人レベルでの一次創作の宝庫だ。そんなインディーゲームを、日本にも定着させたい。大企業でなくても、オリジナルゲームを世にリリース出来るような土壌を作りたい。そういう熱い野望を抱えたファミコン・MSX直撃世代のオッサン達が、ここに集まっている。
彼らを応援してあげて下さい。そして、もし良ければ、インディーゲームの世界へ飛び込んで、一緒にこの世界を盛り上げて下さい。辛い事、苦しい事も沢山あると思いますが、きっと他の文化にも負けない、素晴らしい世界が待っていると思います。
また、改めてNIGOROのPANDAさん、ならむらさん、サミエルさん、司会を務めて頂いた池谷さん、東京カルチャーカルチャーの店長さんスタッフさん、naoさん、ナオクさん、デバッガ隊のみんな、そして何より、ご来場いただいた全てのお客様にお礼申し上げます。恐らく一生出来ないような体験をさせて頂き、ここ数年で一番楽しい一日になりました。本当に、有難うございました。
と、綺麗に終わるはずも無く、身内による三次会へと突入。待っているのは、カオスだ。