インディー系ゲーム開発を応援するKyoto IGSの第3回セミナーが6月8日に開催されました。前回(Unity関連講演)の盛況を鑑み会場は拡張され、当初の定員は50名。そこからさらに85名へと膨れ上がりました。あまりに限界スレスレぶりに、ATNDの注意書きには「消防法により定員以上の入場は禁止されております」と追記されるほどです。
当日は当然ほぼ満席で、「なんとなくゲーム創ってみたい」ではなく「ゲームを創りたい」もしくは「すでに創っているけれどステップアップしたい」層が多い模様でした。第2回から引き続き年齢層は幅広く、また遠方からいらっしゃっている方もちらほら。もはや趣味や一発ネタの域にありません。
最初に登壇したのは開発室Pixelの天谷大輔氏。テーマは「ゲームを完成させよう!!」。新作『Gero Blaster』の宣伝色はありません。むしろ、冒頭でインディーゲームを発信するにあたりローカライズでPLAYISMの優秀さを「彼らはゲームが好きだから」と評していたのが印象的でした。
天谷氏といえば『洞窟物語』であり、ややもすると一攫千金を成した人物と思われがちですが、その実は多難だったのです。ゲーム専門学校に通ってみたり、体を壊して隔離病棟送りになったりと、水面下ではもがいていたことを告白。そうした辛酸を嘗めた結果、ひとまず趣味で製作する方針を選んだそうです。
世界に広まった『洞窟物語』は、天谷氏自身に多大なる満足をもたらしました。そこで否が応にも気になる以前の作品について紹介がありました。ポリゴン風の絵を地道に描いたレースゲーム、多重スクロールの横スクロールアクション、意外にも「敵が折り返すアルゴリズム」に苦戦したインベーダーゲーム風作品、キャトルミューテーションのUFOを撃退するゲーム、天谷氏のサイバーパンク趣味に端を発したRPG、マルチでのネット対戦を想定した作品、などなど。……そして、それらはすべて没になりました。
こうした厳しすぎる現実を踏まえ、天谷氏は「ゲームは完成しないらしい…」と銘打ち、なぜ完成しないのかを分析しました。第1に、"ちから不足"。たとえば、スキル不足が原因で学習を始めたはいいが、習得が終わらないといったケースなどです。この点について、プロフェッショナルのプログラマーを目指すのでなく、ゲーム製作を目的とするのならば、最低限必要な技術を手に入れた時点で形にすべきとしました。
第2が"飽きる"。ヘビー級の要因ですが、天谷氏により分解すると、その詳細は「作ることに飽きる」「実はつまらないゲームだった」「他のゲームが創りたくなった」の3点。具体的には深夜テンションあれこれと追加してみたものの後々動かしてみたら何が面白いのかわからない、もっと面白いアイデアが浮かんでしまう、など。なんだか他でも風の知らせで聞いたことがあるような話です。
第3に"暇がなくなる"。こちらは「学生から社会人になり生活が変わる」「仕事のほうが忙しくなる」「子供が生まれてそれどころじゃなくなる」の3点。奥様の出産に際し担当の看護師から「終わりではなく始まりです」と伝えられた天谷氏は、この段階で製作していたRPGを放棄し、子育てに専念することになったそうです。こうしたことを踏まえ、「人生はどんどん変わっていきます。ですから、明日死んでもいいように創ってください。」と言い切った天谷氏の言葉は重みに満ちていました。
当初社会人生活を送っていた天谷氏には、自由だった時間は23時から26時くらいまで。とてもゲーム創りのできる環境ではありませんでした。一方、自営業となった今は投入可能な時間が増えたものの、確定申告をはじめ雑務が増え、それはそれで厄介のようです。『Gero Blaster』も当初は半年ほどで完成させる予定だったものの、2年半経過してなお完成していないことからも多少は窺い知れるものがあります。
しかし、延期の本質はやはりクオリティのブラッシュアップにかかる部分が大きいようです。事実、一度抜本的な創り直しを敢行しています。いわく、「納得できるまで創るならばいくらでも改善できるけれど、それには5年くらいかかるだろう」とのこと。
さて、天谷氏をそこまで思いつめさせる「完成」とはなんなのか。その定義とはズバリ「完成とは Ver 1.0 だ!」。胃が重くなるようなトートロジーですが、具体的には「お客さんに渡せる形」。用意すべきものを用意する、対面販売でないことを意識する、致命的なバグをなくすといった諸要素を達成し、「Ver 1.0」としました。当たり前のようですが、存外ゲーム一般でみて満たされていないケースが散見されたりします。
さらに、そもそもインディーであることを前提に完成できるものを創るべしとも強調。端的に「FFやDQは創れない」と表現しました。ただし、ネガティブに捉えるのではなく、表現力が限られるならばその領域内でプレイヤーの想像力をかき立てるものに仕上げるなど、しかるべきアプローチがあるということです。逆に、たとえば小説が映画化された際の読者のイメージと映像化の落差を引き合いに、必ずしも表現力が低いことがハンディキャップになるとは限らないともしました。
また、天谷氏のスタンスとして「"面白い"よりは"楽しい"ゲームを」と切り込みました。"面白い"が「1度見てみたい」である一方、"楽しい"は「さわってみたい」「また会いたい」であり、後者を追究した際に立ちはだかる障害("ムシ"と比喩)をいかに排除するかについても言及。"ムシ"を自分で倒すのならば素直になる必要性があり、仲間に頼るならば十分に観察する必要性があるということです。
最後に、モチベーションの問題について。第2回でも発言があったとおり、自宅で各種誘惑に曝露しながら製作するのではなく、インキュベーション施設などしかるべき環境を整えるべきであると改めて強調しました。最初は喫茶店を利用していて、それはそれで効果的だったものの、やはり周囲の雑音が気になり、最終的に現状に至ったとのことです。インキュベーション施設の最大のメリットは「他に仕事をしている人がいること」。会社のような緊張感を維持しながらもプレッシャーから解放されることは有効だそうです。
締めにインディーズの可能性について、天谷氏は「サドルをもらったら自転車が生えてくる」という、自転車乗りには馴染みがあるフレーズを引用しました。力強く羽ばたくために、多少の苦難が待ち構えており、そしてそれを乗り越えることができる、それがインディーズだということなのでしょう。
※誤字を修正しました。コメントでのご指摘ありがとうございます。